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海外博士課程のチューターというお仕事

デザイン学研究

久々に大学関係の投稿です。

欧州イタリアは、9月に新年度が始まりました。僕の所属するデザインスクールの博士課程はなんとなく粛々と続いていて、切れ目が分からない感じなのですが、学部と修士のコースはしっかりと新年度になったぞ、という雰囲気があります。

博士課程の学生は、欧州ではみなお給料をもらっていることもあり、半分「大学運営側」の人間という感覚が同僚のイタリア人にもあるように思います。

自分の研究は、黙々と進めつつ、新年度の授業の準備を教授たちと一緒になって作り上げていく。こんな生活です。

そんな中、僕も修士コース向けのチューターのお仕事に携わらせて頂くことになりました。とてもありがたいことです。

目次

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チューターって何?

そもそも、チューターってなんでしょうか?日本ではよく、TAと言われていたかもしれません。teaching assistantですね。僕も学部生の頃は、博士課程にいたゼミの先輩が色々と面倒を見てくれました。

授業の準備やら、学生への細かなケアなど、学生にとっての学びの経験をより豊かに、実りあるものにするために、このチューターの役割は欠かせません。

特に欧州では、もはやチューターの存在なくして、授業が成り立たないという印象があります。

学生数も多く、しかもグループワークとなってくると、いくら優秀な教授といえども、とても全体を見切れません。

こんな時に、博士課程の学生のチューターとしての役割が重要になります。

チューターはじめて1日目。

はじめて1日目。今日は理論的な講義を教授がする回です。

グループワークのチュータリングがメインの役割なので、今回は授業を学生と同じように聞いていればよい、ということでした。

しかし、聞くと言っても、学生目線で聞くのと、チューター目線で聞くのとでは、見る視点も異なり、学びも違うことを実感しました。

自分が説明するとしたら?

まず、自分が説明するとしたらどんな風にするか。ここを意識しながら聞いてました。

内容そのものは、僕もマスターの学生の頃に学んでいるものばかりでしたが、話し手の立場になって聞いてみると、全く世界が変わります。

教授は、何を強調しているか?

教授は、どうやって説明しているか?

事例を使うのか?

説明資料の作り込みは?

英語の説明は?

こんなことを一つ一つ意識しながら聞いていると、内容について、もう知ってることだからと、油断をしている隙間はありません。

質問にどう応えるか?

コロナの影響もあり、Webでの授業でした。

ということは、質問がやたらにコメント欄に溜まっていきます。これをどう応えるのか?

先生は一つ一つ丁寧に回答していました。

しかも、質問の背景にまで思考を巡らせながら、本質的な回答を端的にしています。

この動作が、やはりベテランの凄さを感じました。

ただプレゼンするだけではないんですよね。当たり前ですが。

総勢90名はいる、マルチナショナル、マルチバックグラウンドの学生たちの様々な角度からの溜まっていく質問たち。

これを想像してみてください。

どう回答していくか。

さらに、さすがだな!と感じたことがあります。

それは、学術的な知見を交えて回答に深みがあることです。(教授なんだから、当たり前かもしれませんが。)

学生として聞いていると、当たり前に感じるかもしれませんが、こういう場面で、反射的な回答に、深い学術的知見が織り込まれていることの学識の深さ。これが博士課程の学生には、今後求められてくるのだな、そう感じた初日でした。

終わりなき旅の、また一歩。

Ciao Grazie !

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