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誰に向けた論文なのか? −博士論文を書く上で、イタリアで学んだとても大切なこと−

博士課程

博士論文を書くとは、どういうことなのか。

博士課程に入って、まず問われること、そして在学中問われ続けることが、こんなシンプルな質問です。

このシンプルな問いは、シンプルであるがゆえに、奥が深いです。

どれくらい奥が深いかというと、この問いだけで、実は全十数回に渡る講義が行われるほどなのです。

はじめは、『へー』という感じで、個々の授業での学びは、言葉だけが耳に入ってくるような感覚でした。

しかし、実は、ここでの学びというのは、普段のサイエンスコミッティとのやり取りの中で、じわじわと体と心の中に染み渡っていく、極めて重要なエッセンスが凝縮されているように感じ始めています。そのエッセンスを一つ一つ、感じた通り、忘れないように、ここに記しておきたいと思います。

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論文とは何か?そのキホン。

『論文』というものを一度でも書いた経験のある方は、それが何を意味するか、ある程度は想像することができるかもしれません。

私が初めて『論文』を書いたのは、大学の学部を卒業するために必要な卒業論文、いわゆる『卒論』でした。

このときは、もう『論文』というものが何なのか、本当にわからずに、非常に苦労して書いたことを覚えています。

私がいた大学は、特にゼミでの卒業論文執筆が非常に重要視される大学でした。
先生との密な教育によって、論を組み立てていくことのお作法や、更には、基本的な論理的思考方法までを鍛え上げられました

今ではあまり聞かなくなりましたが、かなり厳しい時代には、できの悪い「ロンブン」は「ハエたたきにもならん」と読んでもらえず、学生は涙を流す修羅場だったようです。(実際、私もかなり辛い修行のような経験を学部時代にも積みました。)

論文というものは、基本的には、問いがあって、それに対して、論が展開されるものです。そして、その問いと論の2つが重要な要素であることは間違いないのですが、
それぞれにきちんとある種の条件を満たすものでなくてはいけません。

問いは、なぜ重要な問いなのか?

論は、どのような方法によって、どのように科学的論拠を積み上げてなされるのか?

これらが満たされなければ、基本的に論文にはなりません。このキホンは、当然おさえなければなりません。

ここまでは、卒業論文と、博士論文の水準こそ違えど、求められるキホンは同じです。

誰に向けた論文なのか?

この視点は、博士論文ならでは、という学びの気がしています。

単に優れた論文を書くだけではダメだということです。

誰に向けた論文なのか?

これは、言うまでもなく、第一義的には、その学問のサイエンスコミッティです。

では、具体的に、誰なのか?

そこに本当の意味で具体性を持って論をかけるのか。

この視点がとても大切です。

さらに、サイエンスコミッティ「だけ」ではありません。

具体的にメッセージを発信して、新しく生み出された知識が、サイエンスの『GAS (the Great Archive of Science)』タンクにネットワークとして結合しなければなりません。

ここをしっかりと意識して、論文を書くこと。

特に、このGASタンクに『結合する』ということが大切です。

つまり、サイエンスコミッティを中心に、コミュニケーションをすることが大切であるということです。(=ここが難しいのですが、書いて終わり、ではないということ。。)

これが博士論文を書くことの一つの要点だということです。

この意識付けは、研究者として歩む上で極めて重要なマインドセットであると、耳タコなくらいにすりこまれていくことになります。

ここから、『GAS』タンクの話にもつながりますが、また別の機会に深堀りして書きたいと思います。

今日はこのへんで。

Ciao grazie!

 

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