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『デザイン思考』の核心の講義での気付き:何度でも聞きたい授業とは?

デザイン理論

ミラノ工科大学のビジネススクールの修士コースのチュータリング3回目です。

今回は、『何度でも聞きたい授業がある』という気づきについてです。
(講義の内容というよりは気づきに重点が置かれたエントリーです)

みなさんは、人の話を聞くときに、あるいは、聞いたあとにどのようなことを思うでしょうか。

・この話は、使えそうだ/使えなさそうだ。
・何が新しいのか?
・なんだ、そんなことか。それは私も日常生活や仕事の中で普段やっていることじゃないか。何も面白くない。当たり前だ。
・授業なんて、1度聞いたら十分だ。
・この人はいつも同じ話をしていて、退屈だ。

これは、話し手の側の責任がとても大きいのは確かです。興味の持てない話というものは、どこにでもありふれています。やはり、聞き手にとって、興味の湧く、面白い話を心がけるということはとても大切です。

しかし、同じ話を2回でも3回でも聞いてみたい、そういう場面というのはあるでしょうか?

目次

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何度でも見たい映画。

好きな映画ならば、何度でも見たい、ということはあるかもしれません。
映像の魔術師と呼ばれるフェデリコ・フェリーニの作品のように、『La Dolce vita』は何度見てもその世界観や舞台セッティング、俳優のいきいきとした演技に心酔してしまうかもしれません。

これは、とてもおもしろいことだと思います。だって、映画の内容そのものは、全く変わっていないのですから。それでも、何度でも見たい、と思うのは、その映画そのものに何らかの魅力がぎっしりと詰まっているからでしょうか。

・見る視点によって、毎回発見がある。
・毎回味わい深い。
・このシーンが好き。
・毎回同じシーンで、泣いてしまう。

映画でなくても、僕は漫画でも同じことがあります。

僕は「スラムダンク」で育ちました。少年時代の思い出もさることながら、おとなになった今でも、一度手にしたら確実に徹夜することは決まっています。そして、涙を流すこと、数え切れません。

映画でも、漫画でも、内容は変わらないのに、何度でも見たい、そう思うことはあると思います。

しかし、とくに人の話を聞く、とりわけ授業を受ける、というものは、そのたぐいのものなのでしょうか?

何度でも受けたい授業

何度でも受けたい授業、そう自分が思えたら、聞き手にとって、それは最高の理想の授業ではないか、そう思います。

当初、授業の内容を聞いて、あぁ、これは昔聞いたことがある内容だろう。気楽に聞こうか。そんな気持ちでいました。

これは、どんな授業でも同じことが言えるでしょう。経営学部の学生にとっては、経営戦略やマーケティングの授業はもうお腹いっぱいかもしれませんし、デザイン学部の人にとって、デザイン思考の話は耳タコかもしれません。

しかし、先の感想のように、何も学ぶものはない、というように切り捨ててしまうのは、あまりにも勿体ない。それは、話し手の責任だけではなく、実は聞き手の側にも責任があるように思います。同じ話であっても、聞き手の認知モデルによって、何が受け取られるのか、というのは確実に違うはずですから。

話し手側と聞き手側の2人の側の理由によって、この「セッション」は発生します。

コアがある

話にコアがあります。デザイン思考のコアについては、研究が進んでいますが、フレーミングとリフレーミングがコアです。これがあると、1回目に聞いたときよりも、2回目、3回目と聞くうちに、浸透のレベルが変わってきます。

多面性がある

興味をもてる入り口が多面的です。これは、マーケティングコンテンツでは、「マルチプルコンテンツ」と言われたりもします。記憶に新しいのは、映画「君の名は。」は、まさにマルチプルコンテンツであり、いろいろな興味関心を持った人たちが、自分の興味関心に合わせて楽しむことができました。だからミリオンヒットになった、というお話ですね。

事例が興味深い

事例が新しかったり、思いもよらなかったり。この事例の力というのは、すごいです。「ピンポンのやり方101」なんて言われたら、どんな卓球のやり方があるのだろう、って気になりませんか?

最新の知見がある

これは授業独特かもしれません。最新のアカデミックな知見が盛り込まれていると、これはぐっと面白いものになりますね。

聞き手の脳がある問題意識に関してアクティブである。

これまでは、話し手側サイドのお話でしたが、これが一番重要だと思います。

何より、聞き手側がアクティブであることです。

私の場合、自分の研究の視点、それから、チューターとしての視点と、複数の視点から話を積極的に聞こうと思っていました。

何らかの視点を持ちながら、人の話を積極的に聞こうとすると、決して先にあったようなネガティブで退屈な感覚にはならないはずです。話がつまらないと感じたら、それは、聞き手である自分の側に半分以上の責任があると考えたほうがよいかもしれない、そう感じました。

何度でも聞きたい、話し手に。何度聞いても感動できる、聞き手に。

特に、話というのは、実は映画や漫画と違って、進化しています。そして、ライブ感があります。これは、映画や漫画というよりも、むしろ、音楽のライブに近いかもしれません。

何度でも聞きたい、話し手に。そして、何度聞いても「感動できる」聞き手に。
そうありたいものですね。

Ciao Grazie!

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