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デザイン思考?イタリア人が考える、デザインとは?①

どうも、羽山です。

ビジネスの世界に、デザインの力の導入が唱えられて久しいです。
一つには、米国のIDEOやスタンフォードD-schoolを発端とする、『デザイン思考』の貢献が大きいです。日本にもようやくその波が訪れ、本格化しています。

しかしながら、逆説的ですが、『デザイン思考』が流行れば流行るほど、
イタリアのデザインの人たちは、目くじらを立てている傾向があります。
(そんなにならんでも、、大人げないがな、、なんて思いますが、それがイタリア人なんですね(笑)

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目次

イタリア人の疑問、「デザイン思考」ってなんやねん?

「そんなん、あえて言わなくても、俺たちはとっくの昔っからやっていたよ。」
「また、アメリカが盗みやがって。コーヒー文化と言い、ピザと言い、イタリア
はいつも文化の発祥なのに、アメリカがいつも商業化してしまう。」

大なり小なり、このような内容のコメントをイタリアにいるとよく聞きます。

個人的には、確かに、イタリア人に相槌を打ちつつも、まぁイタリア人は
商業が下手やからなぁ、、と思っています。

良いコンテンツ/プロダクト/サービスをデザイン出来たり、デザインのノウハウがあったとしても、世の中に発信、広めていくことはまた別物なんですね。

イタリアは、前者は天下一品だけど、後者はすこぶる弱いようにです。

ただ、ぼくがイタリアのデザインがとても好きなのは、やはりイタリア特にミラノには、
デザインの文化で満ち溢れていること。それは、アメリカ的に商業/マーケティングで創りだしたもの、とは全く別次元で、人々の生活に息づいています。

ここからぼくのデザインの旅も始まるのですが、壮大な旅は、このブログでも
様々な切り口から語るとして、今回は、一つ、「デザインの前に、、。」についてお話したいと思います。

デザイン思考?思考とか方法論も大事だけど、それだけでいいの?

これ、実は大事なテーマです。
思考とか/方法論が出てくると、人はその本を読んだだけで、「分かった気に」なってしまいます。
かくいうぼくも、大学時代に散々ゼミの先生にこのことはボロクソ言われました。
当時、商学部経営学科に所属していたぼくは、何やらカッコいい横文字理論を学ぶたびに、こう思って調子にのっていたのです。
「また新しい理論を学んだぞ。これで「経営」が分かった。「経営」が出来るぞ!」と。
今思えば、本当に若気の至りというのはこの事だと思い、襟を正す毎日ですが、
当時はハタチのワカゾウですから、まぁ調子にのっていたのだと思います。
でも、本当は違うんですね。方法論をただ「知る」だけでは、ほんのスタートラインの「ス」くらいに立っただけ。
もっと大事なのは、それをきちんと使えて、しかも、周りの人とコミュニケーションができて(難しい横文字はいらない)、実際の社会に貢献する、動くこと、が大切です。
経営学の世界でも、私は経営コンサルタントとして働きながら、このことを毎日
感じながら仕事をしていました。
大学の先生の教えは、いつも胸の奥深く、かつ、いつも自分の動作に染み付くようにしていました。
そうして、実務経験を詰み、また、その背後で勉強に勉強を重ねることで、やっと「半人前」、「一人前」へと成長していきます。
こうやって過ごしてきて、デザインの世界に入り、また一からスタートラインの「ス」に立ったわけですが(無事にマスターを修了できた、ということで、ここは自分にこう評価してあげてもいいでしょう)、デザインの世界でも、やはり上のような努力が今後も必要になります。
しかも、その前提条件として、デザインの世界には、もう一つ別のレイヤーの土台が必要、といいます。それは何か?次回の記事で続きを紹介します。
Ciao! Ciao!
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